【ラノベビュー】『おまえをオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ!』

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おまえをオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ! 第1巻書影

以下の文章は10年近く前――「オタリア」発売直後に書いたものなので、ライトノベルにおける「リア充」の描かれ方へのとらえ方が少し古びていると感じられるかもしれません。

ただし、作品分析自体は古くなっていないと思うので、掲載します。(創作論的な側面が強いです)

 

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 現在のライトノベルでは、身勝手に想定された「リア充」像が様々な作品で繰り返し描かれ、特に「ギャル」はリア充の中でも特に過剰に拒絶されている。そうした閉鎖的なライトノベルの現状で、「ギャル」を魅力的に描いた『おまえをオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ!』は注目に値する。

 

 この作品で、ヒロイン・恋ヶ崎桃はテンプレートな没個性リア充ではなく、きちんと自分の価値観を表明する。例えば、恋ヶ崎は主人公・柏田直輝との模擬デートで柏田の振る舞いを採点するが、彼女の言葉には読者を納得させるだけのリアリティがある。

また、恋ヶ崎の言葉は時に辛辣だが、「ギャル」特有の刺刺しさは率直さと裏表であり、秋葉原で柏田が恋ヶ崎の買い物につきあった際に、彼女が「ありがとね」と素直に言葉に出せることを「ギャル萌え」と呼ぶことに躊躇いは必要ないだろう。

 

 ただ、作品の趣向は素晴らしいが、表現や構成のレベルで疑問がないわけではない。

まず、恋ヶ崎は男性が苦手だということが早々に明らかにされるが、せっかくのギャップ萌えポイントを簡単に明かしてしまうのはもったいない。

少し後に友だち数人とカラオケに行くシーンがあり、さかんにスキンシップをしてくる男を恋ヶ崎が拒絶する場面があるが、そこでこの意外な一面を初めて明らかにする方が読者を惹きつけただろう。

 

また、さらにその後のシーンで、同人誌即売会の会場で<恋ヶ崎はビッチだ>という鈴木爽太(恋ヶ崎の想い人)の誤解を柏田が解いたことが、柏田本人の口から恋ヶ崎に説明されるのだが、柏田の口から直接伝えられるのではなく、後から偶然知ってしまうといった展開のほうが感動的だろう。

 

これは、一般論としてそうである以上に、この作品の演出的な観点からそう言える。

 

柏田には長谷川翠という想い人が彼女におり、柏田は彼女の見えないところで彼女の学級委員の仕事を手伝うのだが、せっかくの好意も彼女に伝わらない。柏田はそれで満足してしまうのだが、恋ヶ崎はそんな柏田の草食っぷりを喝破するエピソードがある。

 

このエピソードを踏まえたうえで、同人誌即売会のシーンに戻って、恋ヶ崎が受けた誤解を解いたのが柏田であるという事実が、柏田以外の人物から明かされたとしよう。

すると、同人誌即売会のシーンは違った意味を持ってくる。

つまり、柏田が長谷川に向けた「気付かれない優しさ」――それを気づかれなければ意味がないと恋ヶ崎はいったが、その「気付かれない優しさ」が長谷川だけではなく自分にも向けられていたのだと恋ヶ崎が気づく感動的なシーンとなるのだ。

このようにストーリーに再帰性を持ち込めば、また違った情緒をもった作品となっただろう。

 

 しかし、ここまで書いてきて論をひっくり返すようだが、この作品にとっては、そのような回りくどい展開はいらないのかもしれない。

そう思わせるほどに、柏田と恋ヶ崎には、ただただ応援したくなるような純真さがあるのだから。