【ラノベレビュー】ギルドの受付嬢ですが、残業は嫌なのでボスをソロ討伐しようと思います 香坂マト(電撃文庫)

ギルドの受付嬢ですが、残業は嫌なのでボスをソロ討伐しようと思います(電撃文庫

「ギルドの受付嬢ですが、残業は嫌なのでボスをソロ討伐しようと思います」

 

あらすじはタイトルのとおり、ギルドの受付嬢・アリナが、残業をしないためにボスをソロ討伐する話である。タイトルで読者にストーリーをイメージさせることができるとは、つまりそれが秀逸なタイトルだということであり、しかも、それがたんなる「出オチタイトル」に終わらず、受付嬢がボスをソロ討伐できるほどの力を持っていることのギャップや不思議がそこには含まれていて、読者に本を開かせる魅力は十分だ。これほど秀逸なタイトルにはそうそうお目にかかれるものではない。

 ギルド最強のパーティ「白銀の剣」のリーダーであるジェイド・スクレイドは、アリナが難関ダンジョンでボスをソロ討伐する正体不明の冒険者“処刑人”であるという秘密を知り、アリナをパーティへ勧誘する。何としても安定した受付嬢(=公務員)の地位を守りたいアリナはそれに頑として応じない。追うジェイドと逃げるアリナ――中盤のコミカルでほほえましい掛け合いが、激しい魔物との戦闘シーンとの緩急を見事に作り出している。

ところで、この作品はギルドの受付嬢に焦点を当てたお仕事系小説としても読める。ギルドの受付嬢に焦点を当てたこと自体が新しいのだが、異世界特有の仕事事情の描かれ方が楽しい。例えば、新しいダンジョンができると案件受注数が増えたり、高ランクの冒険者から高圧的な態度を取られたりといった具合で、読者はリアリティをもって想像できるところだ。また、部下のしりぬぐいをする姿や有休のとり方ひとつで悩む姿は、我々読者も身につまされるところだろう。

異世界を舞台とした「お仕事系小説」は少なくないが、本作が面白いのはギルドの受付嬢と冒険者が、「労働」という観点から、公務員―フリーランス的な対比としてとらえられていることだ。実際、その対比こそが、“処刑人”という圧倒的な力を持ちながら受付嬢にとどまろうとする価値観のズレや、「追うジェイドと逃げるアリナ」の構図を可能にしていることに注目したい。

さて、もう一つ別の観点から、この作品の魅力を考えたい。

ダンジョンのボスが倒されないかぎり、ダンジョンからは魔物が湧いてくる。すると受注数も増え、アリナの残業時間も増える――こうした事情のため、言い換えれば、残業をなくすため、アリナは外套に身を隠し、誰にも気づかれぬよう、ダンジョンのボスを“ソロ討伐”する。これはつまり、アリナにとって、“処刑人”という役割は受付嬢という役割に対して従属的であるということだ。この構図自体が新しく、作品をユニークにしている。

このことは、例えば仮に以下のようなあらすじの物語があったと仮定すると、よくわかる。

 

受付嬢の制服を着ているアリナは世を忍ぶ仮の姿で、真の姿は謎の冒険者“処刑人”なのだ!

 

実際、このようなストーリーはありきたりであろう。しかし、本作でアリナは、“処刑人”は仮の姿であり、受付嬢こそが真の姿である、つまり受付嬢にアイデンティティを持っている。その価値観の逆転がこの作品の面白さを物語構造のレベルで支えている。

 

これまで書いてきたことで、この作品の魅力を多少なりとも明らかにできたと思うが、実はもっとも重要な点が残されている。しかし、これは作品の「ネタバレ」になりかねないので、未読の方は注意されたい。(もっとも、以下を読んだかからといって、初読の面白さを損なうことはないと、私は信じているが)

 

 さて、改めて考えると、「“処刑人”という圧倒的な力を持ちながら受付嬢にとどまろうとするのか」(問1)は不思議である。作中で受付嬢(公務員)-冒険者フリーランス)という対比的な労働観から説明されているが、それでも我々の感性からすると不思議である。しかし、実はそれ以上に不思議なのは、「なぜアリナがギルドの受付嬢を職業として選んでいるか(異世界には他に公務員的な職はあるだろうに)」(問2)だ。

 そして、問2に答えることは、おそらく同時に問1への答えにもなるだろう。

 

 「なぜアリナがギルドの受付嬢を職業として選んでいるか(異世界には他に公務員的な職はあるだろうに)」という問いは、アリナの幼少期のトラウマに関係している。

 アリナの実家は冒険者を客とする酒場を営んでおり、アリナは幼いころから店の客たちにかわいがられていた。特にシュラウドという若い冒険者とは特別仲が良かった。しかし、ある日を境にシュラウドは店に姿を現さなくなる。そして、アリナはシュラウドがダンジョンで死んだことを知る――

 以上のエピソードは、物語の起承転結における「転」にあたるといえる。それは、このエピオードが、有給休暇を消化してダンジョンに入ることをあれほど拒絶していたアリナを、物語の終盤の魔神シルハとの戦闘に向かわせるという「転」を生じせしめる、というだけでなく、「“処刑人”という圧倒的な力を持ちながら受付嬢にとどまろうとするのか」(問1)というアリナの行動原理が、公務員という安定した地位のため「ではない」可能性を読者に開示するからだ。

 いったん、問2の問題に戻ろう。

 ギルドの受付嬢をしていれば、見知った顔の冒険者の死に直面することもあるだろう。そして、その悲しみを幼少期のアリナは痛切に味わっている。にもかかわらず「なぜアリナがギルドの受付嬢を職業として選んでいるか(異世界には他に公務員的な職はあるだろうに)」。

 この問いに対しては、シュラウドがアリナに『アリナおめえ、将来は絶対美人になるから、受付嬢がいい』と言われたから――と一応回答できるのだが、それでは不十分であるように感じられる。

 この問題は、精神分析用語でいうところの否認――自己がその事実をそのまま認めると不安や不快を感じるような現実などを無意識に無視してしまう心の働き――が関係しているように思われる。

 具体的に言えば、アリナは、シュラウドの死へのショックの大きさに耐えきれずに、無意識的に「冒険者の死など大したことではない、自己責任だ」と思おうとするあまり、冒険者の死が間近にあるギルドの受付嬢を無意識に選び取っている、と考えられるということだ。

 これは、作中で瀕死のジェイドの元へ向かうアリナの切迫した内的独白からも見て取れる。

 

 案の定瀕死になって、あまあみろだ。本当に馬鹿だ。

 あんな馬鹿を助けにいく義理がどこにある。

 放っておけ――

 

ジェイドの瀕死が、冒険者(=シュラウド)の死の悲しみに直面することを無意識に避けてきたアリナの「否認」のさまを曝け出し、そしてアリナの行動を呼び覚ます。

 そして、 “処刑人”という正体がばれるかもしれないという危険を顧みず、アリナは受付嬢の制服姿で、ジェイドの元へ向かう。紙版258頁の、制服姿で大槌を振るう、一種狂気とも見えるアリナの姿がこれほど感動的なのは、ジェイドを助けたいという強い気持ちというよりも、外套(=「否認」)の殻を脱ぎ捨て、己の過去を乗り越えようとする姿がそこにあるからである。

 

 <巨神の破槌>を振るう時、彼女は同時に自分の弱い心に大槌を叩きこんでいた――圧巻の第27回電撃小説大賞金賞作