【ラノベレビュー】この△ラブコメは幸せになる義務がある。 (電撃文庫)

この△ラブコメは幸せになる義務がある。 (電撃文庫)

(作品紹介――未読者向け)

 主人公・矢代天馬は、高校2年生初日のクラス替えで、金髪碧眼の美少女・椿木麗良、「氷の女帝」と称したくなる気高さと美しさをまとう皇凜華と同じクラスになる。友人の速水颯太をはじめ、同級生の男子たちは踊らんばかりの喜びようだが、自称「恋愛ドロップ組」の天馬はどこ吹く風。

 ところが、凜華が麗良に強い恋愛感情を抱いているという秘密を知ってしまい、物語は動き出す。秘密を知ったのは不可抗力だったとはいえ、その忍びなさからうっかり『お前の気が済むならなんでもするから』と言ってしまい、そこから凜華の告白作戦の「共犯者」を担うこととなる――

 中盤は作戦の遂行をストーリーの主軸とした天馬と凜華のかわいい掛け合いに、魅力的なサブキャラクター矢代渚(天馬の姉)を交えたドタバタ調など、ラブコメを読む楽しさをフルコースで存分に味わわせてくれ、作品のクライマックスとなる「告白」シーンまで読者に息もつかせず一気に駆け上がる。そして物語の意外な展開は、物語に新たな緊張関係を吹き込み、読者を2巻へと誘う。

どの登場人物も魅力的で、読者は容易に感情移入し、安心して作品世界にのめり込めばよい。作品に充満する優しい雰囲気は、作者の人柄がなせるものか。優しさ×コメディによって「かわいい」ラブコメと呼びたくなるような、第28回電撃小説大賞

 

(作品分析――既読者向け)

 ※以下ネタバレ※

 本作の人間関係をあえて図式的に取り出すと、「A(凜華)のB(麗良)への恋を応援するC(天馬)」という構図となる。

 ラブコメを読みなれている読者には自明なように、その構図自体はありきたりである。ただ、その構図はA、B、Cにどのような性別をおくかによって、別種の物語装置として作用する点で興味深い。

 

(パターン1)

・A()のB(男)への恋を応援するC(

⇒Aがいつの間にかCに恋をしてしまう――(ア)

(パターン2)

・A(女)のB()への恋を応援するC(

⇒実はBはCのことが好きだ――(イ)

 

異性愛を前提とするなら、上記2パターンのいずれかである。AとBとCの性別をすべて同時に男⇔女へ反転させることはできるが、A、B、Cのどれかを任意に反転させることはできない。言い換えれば、上記2パターン両方について、A(の性別)≠B(の性別)である必要があり、かつ、パターン1が成り立ためにはA≠Cである必要があり、パターン2が成り立つためにはB≠Cである必要がある。

しかし、ここからが本題なのだが、本作はパターン1でもパターン2でもない。

 

(パターン3)

・A()のB()への恋を応援するC(

 ⇒Aがいつの間にかCに恋をしてしまう――(ア)

 ⇒実はBはCのことが好きだ――(イ)

 

 つまり、本作では、AとBを同性とすることで、(ア)と(イ)という二つの物語装置を両方とも作動させている。物語論的にはこの点から作品の妙味が解釈されよう。

 実際のところ、パターン1は三角関係と呼べまい。なぜなら、「Aがいつの間にかCに恋をしてしまう」ことは、A自身にとって驚きがあるとはいえ、「恋敵」が存在するわけではないからだ。

 一方、パターン2は三角関係といえそうだが、パターン1の「Aがいつの間にかCに恋をしてしまう」が加わることで、余計にスリリングな関係となることは間違いない。

 『この△ラブコメは幸せになる義務がある』に即していうならば、パターン1は「A(凜華)がいつの間にかC(天馬)に恋をしてしまう」となるわけだが、これだけでは△ラブコメとは言えまい。もちろん、それはそれで別の物語として成り立つのだが、「実はB(麗良)はC(天馬)のことが好きだ」があることで面白さを増しているということだ。

 さらに注目しておきたいのが、A(凜華)とB(麗良)の関係である。確かに「A(凜華)がいつの間にかC(天馬)に恋をしてしまう」のだが、だからといって、A(凜華)とB(麗良)が無関係ではなくなるわけではない。もしAとBが異性同士であれば、AにとってのBは「昔片思いしていた人」でしかなくなるのであるが、「A(凜華)がいつの間にかC(天馬)に恋をしてしま」ってもなお、A(凜華)とB(麗良)は親友のような関係として存続する。

 同作の同性愛の描き方に批判的な感想があるのは承知している。しかし、これまで見てきたように、上記の構図でAとBに同性をおくことで、物語論的な面白さが生まれることは間違いないのだ。

 同性愛の問題に限らず、全般的な小説技法には未熟さもあるかもしれない。しかし、着想だけは確かに従来のラブコメの物語文法を意識的に換骨奪胎三して見せるなど挑戦的なところがあるし、この作品の受賞をめぐって編集部への批判が妥当と思われるほどの違和感を憂くなくとも私は抱かなかった。続巻を期待する。

 

(以下、補足)

 以下の内容は本作とは離れるが、ラノベにおけるラブコメの古典的名作である『とらドラ!』も「AのBへの恋を応援するC」という構図を利用して、(ア)と(イ)を発動させている。どのような方法によってか見てみよう。

 

(パターン4)

・A()のB()への恋を応援するC()――(Ⅰ)

  ⇒Aがいつの間にかCに恋をしてしまう――(ア)

・C()のD()への恋を応援するA()――(Ⅱ)

  ⇒実はDはCのことが好きだ――(イ)

 

 A=大河、B=裕作、C=竜児、D=実乃梨であるが、つまり、(Ⅰ)と(Ⅱ)という二つの人間関係軸を設定し、(Ⅰ)から(ア)を、(Ⅱ)から(イ)をそれぞれ導いているのである。

 そして、(I)と(Ⅱ)でA=大河とC=竜児が対称的かつ相互乗り入れ的な役割を果たすことで、関係に緊張感を呼び込み、複雑な人間模様を可能にしているのである。

 以上を踏まえたうえで、『とらドラ!7』から亜美のセリフを以下に引用して、この文章を終えたい。(それ以上言葉はいらないだろうが、E=亜美が以上の図のどこにもいないことだけ、蛇足ながら付け加えておく)

 

「高須君とタイガーの関係は、すっごく不自然。すっげぇ変。こんな幼稚なおままごと、もうやめた方がいい。きっと最初から間違ってたのよ。大怪我する前に目を覚ましたら。全部チャラにしなよ。それで一から始めたらいいじゃん。あたしのことも、一から入れてよ。出来上がった関係の『途中』から現れた異分子じゃなくて、スタートのそのときから、あたしも頭数に入れて。そうしたらあたしのこともっと……あたしも、……あたし、は、」(P132)