【論評】『現実でラブコメできないとだれが決めた?』

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現実でラブコメできないとだれが決めた? (ガガガ文庫)  第1巻書影

(前フリ)

「上野原彩乃はたった一人の、俺のラブコメにしかいない、特別な登場人物なんだ。だから頼む。これからも、俺を、俺の計画を――隣で、支えてくれないか?」(P308)

 

 今回は、この2行から、『現実でラブコメできないとだれが決めた?』という作品を分析してみたいと思っている。

 具体的には、長坂がこのセリフで何を伝えようとしているのかを明らかにしようと思う。

 

『現実でラブコメできないとだれが決めた?』は一言でいえば、「ラブコメ(フィクション)のような展開を現実において叶えようとするラブコメ(フィクション)」である。

(今回の投稿は一読した人向けに書いているため、あらすじや登場人物紹介は省く。)

 

 このセリフの前提を最低限振り返っておきたい。

 物語の最終盤(クライマックス)で、主人公・長坂耕平は共犯者・上野原彩乃の汚名を晴らすため、彩乃のこれまでの不審な挙動が、幼馴染として長坂を心配するがゆえのものであるとクラスのメンバーに明かす。

 そして、この発表は「ラブコメ創造」という主たるストーリーにおいて「キャラ属性を与えることで強引にラブコメの登場人物に仕立て上げる」という大技であった。

そんな感じ。

 

 現実に彩乃のピンチを救いつつ、ラブコメ計画の登場人物にしてしまう――この大逆転は、物語上の仕掛けとして抜群に面白いし、私たちの度肝を抜く。

 しかし、この仕掛けは、あくまでこれから分析しようとすることの前提である。

 

(共犯者と幼馴染)

 

 長坂は彩乃にとにかく何かを伝えようとしている。ひとつ明らかなのは、現在の「(裏舞台の)共犯者」という立場ではなく「(表舞台の)幼馴染」になってほしいということ――前者も後者もラブコメ創造計画を支えるという役割において変わりがない。しかし、長坂は彩乃に対し、「特別な登場人物」になってくれ、と告白している。実際のところ、長坂は彩乃に何を伝えようとしているのか。

 それは、当たり前の様で一見わかりにくい。

 わかりにくくしている理由の一つは、長坂がセリフの中で「幼馴染」を「隣で支える特別な登場人物」と言い換えていることにある。

 たしかにラブコメにおいて幼馴染は、主人公に世話を焼いたり、家族のように優しくある存在である。その意味で、幼馴染が主人公を「隣で支える特別な登場人物」であることに間違いはない。

 しかし、それは一面的である。幼馴染は主人公を隣で支えると同時に主人公にとってのヒロインでもある。

 いうまでもなく、「裏舞台の共犯者」と「表舞台の幼馴染」の決定的な違いは、ヒロインであるか否かであり、要するにあの2行で、長坂は彩乃に対し、「俺のラブコメのヒロインになってくれ」と告白している(※1)(※2)

 

(「ラブコメ」と「「ラブコメ」」)

 

 しかし、ここからが本題なのだが、長坂は彩乃に対して、より重大なことを伝えている。「俺のヒロインになってくれ」はある意味で愛の告白に等しいが、それよりも重大な告白である。

 

 もう一度「告白」のセリフを引用する。

 

 「上野原彩乃はたった一人の、俺のラブコメにしかいない、特別な登場人物なんだ。だから頼む。これからも、俺を、俺の計画を――隣で、支えてくれないか?」(P308)

 

 この一文はよく読むと不思議である。長坂は彩乃に対して特別な「登場人物」と言っている。登場人物とは、「ラブコメ創造計画」という表舞台のキャストである。しかし、同時に「俺の計画を――隣で、支えてくれ」と言っている。これは、舞台裏での仕事ではないか。

 結局のところ、長坂は彩乃に何を伝えようとしているのか。

 言葉にしてしまうとあまりに野暮だが、あえて言おう――長坂は、彩乃とラブコメ創造計画を進めているいまのこの現実、それ自体がすでにラブコメであると伝えている。

 その告白は、どのような意味を持つのか。

 長坂にとって、「ラブコメ」を実現することは、自分を貫くこと、つまり自分を肯定することに密接にかかわっている(それは過去のトラウマを披歴するシーンからわかる)。

 その長坂が、彩乃との日常それ自体が「ラブコメ」なんだと彩乃に伝えることは、「お前のおかげで、俺は自分の生を肯定できる」と伝えていることだと言っても、言い過ぎではない。

 現実でラブコメを創造しようとするコメディストーリーが、たった2行でラブストーリーに、そして主人公の自己承認をめぐる物語に変貌する――なんと感動的な告白であることか(※3)(※4)。

 

(締め)

 

 「長坂がセリフの中で「幼馴染」を「隣で支える特別な登場人物」と言い換えている」と書いたが、これは私の書き方に誤りがある。長坂にとって、彩乃は「ヒロイン」でも「幼馴染」でもなく、「隣で支える特別な登場人物」としか言いようのない存在になっている。あるいは、「ときに主人公を日陰で支えながら、ときに日向のヒロインである」という比喩的な意味で「幼馴染」と言えるかもしれないが、長坂にとっての彩乃はそのような「属性」で表現できるような存在からは全くかけ離れている。

 

 何度繰り返しているかわからないが、このような野暮な分析はするべきではない。しかし、言葉にせずにはいられない作品というものが世の中には存在する。そして、時折出会ってしまう。

 

 幸いなことに、この物語には続巻がある。であれば、やるべきは一秒でも早く第2巻を手に取ることである。

 そして、大事に、大事に読もう。

 

(注)

※1 長坂の告白は彩乃に伝わっただろうか――ここが作者のうまいところなのだが、彩乃はラブコメにうといと思われるので、この告白を「ヒロインのひとりになってください」という告白として受け取っていない可能性がある(少なくともそのような解釈の余地を残している)。そして、こうした認識のズレ、行き違いが主人公とヒロインの関係に奥行きを持たせる――ひとことでいうと、読者はそこに萌えるし、より直截に言うと、ニヤける。

※2 扉絵に書かれている清里芽衣のポジションが「ヒロイン」ではなく、「メインヒロイン」であることに注目。メインヒロインがいるということは、他にもヒロインがいる)

※3 ここまで読んでみると、引用の2行の中の「俺のラブコメ」という言葉が、「ラブコメ創造計画」ではなく、いままさに長坂が彩乃と歩むこの現実(作品世界)を指すことがわかる。(あーエモイ!)

※4 恋愛小説とは、何かを「告白する」もしくは「伝える」小説である。それは必ずしも「好きです」とか「付き合ってください」とかでなくても、「相手に伝えなくてはいけない強い思い」があれば、それは恋愛小説である。

 往々にして、恋愛小説は、その告白のたった一文のために数百頁が用意される。この小説はさきほど引用した一文でいかに読者を感動させられるかに全てがかかっているし、それまでの300ページはすべてこの告白の効果を最大化するための前戯であると言ってもいい。

そして、長坂から彩乃への「告白」は、この意味で完全に成功している。

 

(補稿というか追伸)

長坂は彩乃からよく「馬鹿」といわれるが、長坂の馬鹿さとは、いうまでもなく頭の悪さではなく、「現実を変えようとする無鉄砲さ」なのだから、ヒロイン(彩乃)に「自分を変えたい」と強く思うキャラクターを配置するのは、この作品の構造にマッチしている。